右肺に大きながんが見つかっても、『なんの治療もしない!!』と宣言され、その後もたんたんと2週間に一度の来院を繰り返してくれていました。
約3年が過ぎた頃、新宿のクリニックを開設することになり、辻堂の診療が週に1回の診察になってしまいました。
いただいた数十年前のかばんも取っ手の部分が壊れ、修理に出しました。
いつの頃からか、辻堂の外来でもお会いすることがなくなりましたが、時々奥様が腰痛で受診されていたので、その時に経過をお聞きしていました。
少しだけ認知症状が始まり、1人で通院が困難になっているとのことでした。
しかし、相変わらずタバコを好きなだけ吸い、好きなものを好きなだけ食べ、読書にふけり、淡々と毎日をすごされていたそうです。
平成18年の健康診断では、胸のレントゲン写真ではっきり写っていた肺がんが消えていました。もちろん単純レントゲン写真ですので、様々な条件で腫瘍が見え辛くなるのですが、明らかに見えないのです。もちろんCTなど詳しい検査をすると腫瘍はあったでしょうが、きっと小さくなっていたことでしょう。
そして昨年末、急変され入院されていることを奥さまから聞きました。その急変もがんが原因ではなかったそうです。
入院後、すでにほとんど意識が不明の状態であることをお伺いしました。
辻堂の診療後に、お見舞いにお伺いすると、奥さまやお子さんたちに囲まれて、酸素マスクをした状態で休まれていました。呼吸はあごを使わなくてはなかなか息がすえない状態です。
手を握って、肩をたたきました。
『○○さん、溝口ですよ!!かばんは修理して使っていますよ!!分かりますか??』
耳元で大きな声で呼びかけると、目をはっきりと開け、手を強く握り返してきてくれました。はっきりと覚えていないのですが、『いよいよダメだよ』と言ったと思います。
その2日後にお亡くなりになったのですが、後日奥さまから聞いたところによると、僕が会いに行った2日前から意識がなく、僕と話したあとも意識がずっと無かったそうです。奥様からは、私が幾ら呼んでも起きなかったのに、先生が来たら話までして!!と言われました。
はたして、この患者さんが肺がんが見つかったときに、外科の先生が進めるように手術をして、その後に化学療法を行っていたら、今回のような経過をたどられたでしょうか?
もしかしたら生存期間は延長したかもしれませんが、生活の質は保つことができなかったでしょう。
全く手をつけずに経過を見たのは、後にも先にもこの患者さんだけです。
しかし、がん治療についての多くを教えてくれるのではないかと思うのです。